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亀甲墓 (かめこうばか)

亀甲墓(かめこうばか、きっこうばか、かみぬくー(亀の甲)ばか)は、沖縄県に多い墓の形式のひとつ。この他に破風型(破風墓)、家型(屋形墓)というのが、沖縄県に多い墓の形式であり、本土にあるような四角柱形の石の墓はあまり見られない。

亀甲墓は、沖縄本島の中南部によく見られる。こうした墓は、沖縄県の他に台湾、香港、中国本土では福建省など中国南部に多くあり、大陸からの伝播ではないかと見られている。 一般に緩やかな斜面に多く見られ、亀の甲羅状の石の屋根の下に、畳にして4畳から大きい場合は8畳くらいの石室が設けられている。 亀の甲羅状の屋根が覆う部分は、母の胎内、そこから人が生まれてきた出生以前の胎内を意味している。中国の易経の世界観では、人の一生が、誕生以前の漆黒の闇を黒冬し、青春(青年期)、朱夏(壮年期前期)、白秋(壮年期後期)を経て、老い衰えて目も見えず、耳も聞こえなくなると、再び死の闇に戻る。これで一生の円環が閉じるのだが、この四つの季節に方位の東西南北が当てられ、それぞれを四聖獣が守護するといわれ、北の玄冬(老年期)に充てられているのが、伝説上の亀の一種、玄武であることから、母体の中の闇の世界を亀の甲羅で覆ったのではないか、と見られる。 春の彼岸には、各地で馳走を用意して、その家の亀甲墓の前で歓談しながら食事をしたり飲酒をしたりする習慣(清明祭)が残っている。 これを墓と知らない人たちにとっては、一見防空壕やトーチカのようにも見え、第二次世界大戦(太平洋戦争)の最中、アメリカ海軍の艦船がこれをトーチカと誤認して砲撃を浴びせたということもあったという。日本兵も実際に簡易なトーチカとして利用した。 古来日本列島全体に風葬の習慣があったが、沖縄県ではこの習慣がこの墓と融合し、死後数年間は遺骸を石室内に放置し、数年後に親族(特に長男の嫁)で洗骨して改めて骨壷に納骨して石室に収めることから、石室内部は広く設けられている。近年では沖縄県でも本土同様に火葬するケースが多くなっていることから、小規模な亀甲墓も見られるようになってきた。 なお「夜になると入り口の戸が開く」という伝説が古くから沖縄県では伝わっているのだが、残念ながら今のところ目撃例は無い。

最終更新 2009年4月8日 (水) 04:53 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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